歴代上野松次郎-人物紹介

トップページ | 歴代上野松次郎-人物紹介

歴代上野松次郎-人物紹介

創業者 上野新兵衛

[1746(延享3)年~1811(文化8)年]
上野の創業者。初代上野松次郎(幼名:武房)の父、上野新兵衛が22歳の時、すなわち1768(明和5)年を以て上野家の創業年とする。
材木町に於いて製油業を営み、1811(文化8)年8月27日に行年66歳で没す。

初代 上野松次郎(幼名:武房)

[1788(天明8)年~1855(安政2)年]
上野新兵衛(上野の創業者-1768(明和5)年 22歳の時)の長男として1788(天明8)年、材木町に生まれ、1808(文化8)年8月27日、24歳の時に家督を相続して、家業の製油業に専念する。屋号を『油松』といい、当時は材木町油屋松次郎の名で業務を急拡大させた。
その後、業務の拡大に伴い、手狭となった土地家屋を現在の本家がある本郷町へ1833(天保4)年、46歳の時に移転する。700坪の敷地に、製油工場の他、店舗並びに住宅棟を建設し、業務規模が更に拡大をする。
1855(安政2)年1月11日、本郷町4番地にて行年68歳で没す。

2代目 上野松次郎

[1827(文政10)年~1855(安政2)年]
初代松次郎の長男として生まれ、父の仕事を助け、家業に専念するも、父の死亡後4ヶ月にして、行年29歳で没す。

3代目 上野松次郎(幼名:栄次郎)

[1835(天保6)年~1916(大正5)年]
1835(天保6)年、初代松次郎の次男として生まれる。1855(安政2)年、兄松次郎の死亡後、その妻てつと結婚し、21歳にして3代目松次郎を襲名する。大いに商才があり、家運益々盛んにして、製油工程で副産物として生成される油粕を肥料として販売し、商機を得る。
1848年発行の『宇都宮金満家番付』には、『油類干鰯 本郷町 油屋松次郎』として記されている。
1877(明治10)年、41歳の時に家督を長女もと(兄松次郎と妻てつの子)に譲り、四条町(後の松寿苑)に隠居する。ただし、営業その他全般は引続き自ら統括していた。
1916(大正5)年、行年82歳で没す。

4代目 上野松次郎(幼名:もと)

[1848(嘉永元)年~1919(大正8)年]
2代目松次郎の長女として生まれ、明治10年、30歳の時に養父3代目松次郎の隠居と共に家督を相続する。実際は、営業その他、内外の業務の全てを3代目松次郎が取り仕切り、表面に出ずに家庭を守った。その後、5代目松次郎(幼名:豊次郎)に家業を任せるまでに間、3代目松次郎が引続き営業全般を統括する。
1919(大正8)年、行年72歳で没す。

5代目 上野松次郎(幼名:豊次郎)

[1860(万延元)年~1939(昭和14)年]
1860(万延元)年、千葉県銚子市に鵜月家の次男として生まれる。幼名を豊次郎(とよじろう)といい、1883年、宇都宮の上野家の4代目松次郎(幼名:もと)の長女タミと結婚し、養子となり、1889(明治22)年、上野家の家督を相続し、家業の肥料商を営む。
その後、5代目松次郎として肥料商の基盤を確立し、肥料問屋として業界で重きをなした。
5代目松次郎は、学あり、商才あり、家業の肥料商に留まらず、宇都宮市の商工業の発展に大いに尽力する。その間、家業については人造肥料にいち早く着目し、製油業を廃止して、肥料販売専業に移り、その後の隆盛を極める。
1894年、宇都宮商業会議所設立総会において会頭に選ばれて以降、20数年間、宇都宮商工業の発展に奔走した。
1914年5月、宇都宮市議会議長に選出され、名議長として市政の進展に多大な貢献をした。
1917年には宇都宮市選出の衆議院議員となり、立憲政友会に所属し一期務めた。
1936(昭和11)年に隠居をし、家督を長男順一に譲り、1939(昭和14)年、行年80歳で没す。

6代目 上野松次郎(幼名:順一)

[1887(明治20)年~1954(昭和29)年]
1887(明治20)年、5代目上野松次郎の長男として生まれる。
1936(昭和11)年、5代目松次郎の隠居により家督を相続し、翌1937(昭和12)年に6代目松次郎を襲名し、家業の肥料商を継承する。その傍ら、地元経済の振興にも大きく貢献し、栃木県農工銀行頭取、宇都宮商工会議所の会頭等を務める他、親子2代続けて国政に進出し、貴族院議員として活躍をした。しかしながら、貴族員議員中の1942(昭和17)年、脳溢血に倒れ、56歳の若さで現役を退くこととなる。1954(昭和29)年、行年68歳で没す。

上野 俊三(7代目)

[1901(明治34)年~1988(昭和63)年]
1901(明治34)年、5代目松次郎の4男として生まれる。
1926(大正15)年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、父5代目松次郎、兄順一(後の6代目松次郎)の下で、家業である肥料商に専念する。
1953(昭和28)年、長男6代目松次郎の養子となり、翌年1954(昭和29)年、家督を相続して家業の株式会社上野松次郎商店を継承する。
戦争の影響で肥料の商売が国の統制下に置かれる中、現在の内装部のビジネスを立ち上げインテリア事業を発展させる。
昭和47年に事務所を問屋町に移転すると同時に、社名を株式会社上野に改める。
以降、昭和53年迄、株式会社上野の社長として、肥料・内装部の発展に貢献する。
1988(昭和63)年、行年88歳で没す。

上野 泰男(8代目)

[1934(昭和9)年~2019(令和元)年]
1934(昭和9)年5月18日、7代目上野俊三の長男として生まれる。
1958(昭和33)年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、光興業(現・昭光通商)株式会社に入社。
1961(昭和36)年、光興業株式会社を退社後、株式会社上野松次郎商店(現・株式会社上野)に入社、取締役に就任する。
1978(昭和53)年8月、株式会社上野の8代目社長に就任する。
1980(昭和55)年、JR宇都宮駅東口にホテルサンシャインを建設して、ホテル業を開始する。株式会社サンシャインの代表取締役に就任する。
1984(昭和59)年、IBMの県内特約店として、サンシャインコンピュターサービス株式会社を設立する。代表取締役に就任する。
1990(平成2)年、ホテルサンシャイン旧館隣に新館を建設し、宇都宮市最大級のビジネスホテルとなる。
2007(平成19)年1月、株式会社上野の会長となる。上野拓也が株式会社上野の9代目の社長に就任する。
2019(令和元)年8月18日、行年86歳で没す。


5代目 上野松次郎

【プロフィール】
・衆議院議員
・宇都宮市議会議長
・宇都宮商工会議所 初代会頭
・宇都宮銀行 頭取
・下毛貯蓄銀行 副頭取
・下野中央銀行 頭取
・下野製紙株式会社 代表取締役
・宇都宮瓦斯株式会社 代表取締役
・旭土地株式会社 代表取締役
・上野松次郎商店(現:株式会社上野) 代表取締役
 

  【職歴】
  1891年(明治24年):下野銀行創立に参加し、取締役を務める。
  1894年(明治27年):宇都宮商工会議所の設立に係わり、初代会頭に就任。
   以来、初代(明治27年2月~明治28年9月)、第4代(明治30年9月~大正3年6月)の会頭を務める。
  1896年(明治29年):宇都宮銀行設立に参加をし、頭取を務める。
  1898年(明治31年):栃木県農工銀行を設立する。
  1911年(明治44年):宇都宮瓦斯株式会社を設立する。
  1914年(大正 3年):宇都宮市議会議長に選出され一期務める。
  1917年(大正 6年):宇都宮市選出の衆議院議員を一期務める。
  1921年(大正10年):下毛貯蓄銀行を設立する。副頭取を務める。
  1925年(大正14年):下野中央銀行を設立する。頭取を務める。


6代目 上野松次郎

【プロフィール】
・貴族院議員
・宇都宮商工会議所 会頭
・栃木県商業会議所連合会 会頭
・栃木県農工銀行 頭取
・下毛貯蓄銀行 頭取
・下野中央銀行 頭取
・下野製紙株式会社 代表取締役
・下野印刷株式会社 代表取締役
・旭土地株式会社 代表取締役
・株式会社上野松次郎商店(現:株式会社上野) 代表取締役
 

  【職歴】
  宇都宮商工会議所 第7代会頭(昭和6年1月~昭和16年3月)
  栃木県商業会議所連合会 会頭を数期務める。
  栃木県農工銀行を設立する。頭取を務める
  下野中央銀行の頭取を務める。
  宇都宮市選出の貴族院議員を務める。
 


上野 俊三(7代目)

【プロフィール】
・株式会社上野 代表取締役
・旭土地株式会社 代表取締役
・株式会社松寿苑 代表取締役
・下野印刷株式会社 代表取締役
 

  【職歴】
  株式会社上野松次郎商店(現:株式会社上野)の代表を務める。[昭和29年~昭和53年]


上野 泰男(8代目)

【プロフィール】
・株式会社上野 代表取締役
・株式会社サンシャイン 代表取締役
・下野印刷株式会社 代表取締役
・サンシャインコンピューターサービス株式会社 代表取締役
 

  【職歴】
  株式会社上野の代表を務める。[昭和53年~平成18年]
  株式会社サンシャインの代表を務める。[昭和55年~令和元年]
  サンシャインコンピューターサービス株式会社の代表を務める。[昭和59年~平成11年]
  下野印刷株式会社の代表を務める。

連絡先
内装部:028-656-3002
肥料部:028-656-3003