宇都宮に愛された「上野さん」

-上野百貨店80年の記憶-

宇都宮の人々に、
親しみを込めて
「上野さん」と呼ばれた百貨店があった。

時代の流れとともに姿を変えながらも、
その記憶は、
いまなお多くの人々の心の中に残されている。

 
宇都宮の中心市街地に、
かつて「上野さん」
と親しまれた百貨店があった。
 
二荒さん。
須加さん。
そして、上野さん。
 
それは単なる店名ではなく、
地域の人々の暮らしの中に
自然と溶け込んでいた、
時代の記憶そのものであった。
 
上野百貨店は、
上野本家から分かれた
分家事業として
油屋呉服店から、
時代の変化に合わせて、
店舗形態や名称も変化し、
後に、上野百貨店として
宇都宮の街とともに歩み続けた。
 
時代の変化とともに、
その役割を終えることとなったが、
そこに流れていた
「地域とともに生きる」
という思想は、
今なお上野家の歴史の中に
受け継がれている。
 
本稿では、蔵より発見された
『上野百貨店80年の歩み』
をはじめとする資料群をもとに、
宇都宮の人々に親しまれた
「上野さん」
の記憶を辿っていきたい。
 

第一章 本郷町から始まった商い
 

 
本郷町で商いを始めた
創業者・上野房之介は、
三代目上野松次郎の長女・カネを妻とし、
上野本家から受け継いだ
信用と精神を礎として、
新たな商いの道を歩み始めた。
 
その歩みは、
後に上野百貨店へと結実していく。
 

 
【油屋呉服店-創業当時写真】
(明治30年頃)
本郷町(現在の泉町)、
本家の隣に構えられた油屋呉服店。
上野百貨店の原点となった店舗。
 

 
上野百貨店の原点は、
明治時代、
本郷町(現在の泉町)の上野本家、
「油屋松次郎」の建物の隣に
「油屋呉服店」として、
商売がスタートする。
 
その後、
「上野呉服店」
と名称を改め、
時代の流れの中で、
少しずつ姿を変えていった。
 
本郷町の地にて
事業をはじめたばかりの
「上野呉服店」は、
当時の宇都宮において、
地域の暮らしを支える商い
として歩みを始めた。
 
木造建築の店舗には、
まだ近代百貨店の華やかさはない。
 
しかしその佇まいには、
長年地域とともに生きてきた商家としての
静かな風格が漂っている。
 
創業当初の店舗写真からは、
近代化以前の宇都宮の街並みと、
人々の生活に寄り添う商いの
原風景を感じ取ることができる。
 
ここから後に、
「上野さん」
と呼ばれる存在へとつながる
歴史が始まっていったのである。
 
その商いの足跡は
人々の記憶だけではない
 
一円、一銭の狂いもなく、
御店と房之介の日々を記録した
明治の『現金通帳』にも、
静かに刻まれていた。
 

 
【上野呉服店-創業時全体写真】
(明治40年頃)
創業当時の店舗風景。
近代化以前の宇都宮の街並みを
今に伝えている。
 

 
【上野さんの知恵袋】
『正札販売が“信用”を生んだ』
 
まだ「値切る」のが
当たり前だった時代、
上野百貨店では早くから
“正札販売”を行っていました。
 
誰に対しても同じ価格で、
誠実に商売をする。
 
その積み重ねが、
「上野さんなら安心だ」
という、
地域からの大きな信用
につながっていったのです。
 

第二章 宇都宮とともに成長した店
 

 
大正から昭和にかけて、
宇都宮の街は大きく変化していく。
 
鉄道の発展。
商業の拡大。
都市機能の近代化。
 
そうした時代の流れの中で、
上野呉服店もまた、
地域の成長とともに姿を変えていった。
 

 
【上野呉服店-第一発展期】
(大正14年頃)
近代化が進む中で
拡張された店舗。
呉服店から百貨店への
発展期を象徴する。
 

 
店舗は拡張され、
取扱商品も広がり、
やがて「百貨店」という
新しい業態へと歩みを進めていく。
 
当時の店舗写真には、
近代都市として発展していく
宇都宮の空気が色濃く刻まれている。
 
それは単なる建物の変化ではない。
 
地域の暮らしそのものが変わり始めた
時代の記録でもある。
 

 
【上野呉服店-増築期】
(昭和29年頃)
戦後復興期の増築時代。
地域商業の中心として
発展を続けた頃の姿。
 

 
【上野さんの知恵袋】
『床屋さんは、
町一番の情報屋だった?』
 
昔の床屋さんには、
婚礼、
引越し、
人事異動など、
町のさまざまな話題が
自然と集まっていました。
 
上野百貨店では、
そうした“町の空気”を知るため、
床屋さんとの交流も
大切にしていたそうです。
 
商売とは、
人の暮らしを
知ることでもありました。
 

第三章 戦後の街と「上野さん」
 

 
戦争は、宇都宮の街にも大きな傷跡を残した。
 
戦後の食糧難の時代、
上野家は宇都宮市内で炊き出しを行い、
地域の人々へ温かい食事を振る舞った
という記録が残されている。
 
苦しい時代の中で、
人々の暮らしに寄り添おうとしたその姿勢は、
多くの市民の記憶に残った。
 
いつしか人々は、
親しみを込めて
「上野さん」
と呼ぶようになったという。
 
そこには、単なる商売を超えた、
地域との関係が存在していた。
 
商いとは、
物を売ることだけではない。
 
地域の暮らしを支えることでもある。
 
その思想は、
上野家に受け継がれてきた
「信義」
の精神とも深くつながっている。
 

 
【上野さんの知恵袋】
『ミカン箱から始まった戦後復興』
 
戦後、
焼け跡の中で再開された商売は、
決して立派なものではありませんでした。

商品を並べる台の代わりに
使われたのは、
ミカン箱。

それでも、
「もう一度、町に活気を取り戻したい」
という想いだけは
失われていませんでした。

上野百貨店の復興は、
そんな小さな一歩から
始まったのです。
 

第四章 百貨店という時代
 

 
昭和40年代。
 
上野百貨店は、
宇都宮を代表する百貨店として、
多くの人々に親しまれていた。
 
買い物。
待ち合わせ。
家族の外出。
街へ出る楽しみ。
 
そこには、
百貨店が地域文化の中心にあった
時代の空気が存在していた。
 
大型店舗へと発展した上野百貨店は、
宇都宮の街並みを象徴する存在となっていく。
 
二荒山神社の鳥居越しに見えるその姿は、
まさに「時代の風景」であった。
 

 
【上野百貨店-全盛期】
(昭和40年頃)
宇都宮の街に
親しまれた頃の上野百貨店。
街の象徴的存在であった。
 

 
【上野さんの知恵袋】
『電信が、最新の経営ツールだった』
 
今でこそ
瞬時に情報が届く時代ですが、
当時の百貨店経営において、
“電信”は最先端の通信手段でした。

上野百貨店では、
東京や各地の問屋と
素早く連絡を取り合い、
流行や商品の動きを
いち早く掴んでいたそうです。

地方にいながら、
常に時代の先を見ていたのです。
 

第五章 時代の変化、そして継承
 

 
【上野百貨店-1990年頃】
1990年頃に撮影された
上野百貨店の写真。
街の象徴的存在であった。
 

 
しかし時代は変わっていく。
 
郊外化。
流通構造の変化。
大型商業施設の登場。
 
かつて街の中心であった百貨店文化も、
次第にその役割を変えていった。
 
上野百貨店もまた、
時代の流れの中で、
その長い歴史に幕を下ろすこととなる。
 
だが、建物や事業の形が消えても、
そこに流れていた思想までが消えたわけではない。
 
地域とともに生きること。
人との信頼を大切にすること。
商いを通じて社会に貢献すること。
 
それらは、
現在の株式会社上野へと受け継がれている。
 
上野百貨店の歴史は、
単なる百貨店の歴史ではない。
 
それは、
時代とともに生きた
「上野家のもうひとつの物語」
なのである。
 

 
【上野さんの知恵袋】
『人を育てるための”上野学校”』
 
上野百貨店では、
店員教育にも
非常に力を入れていました。

礼儀作法、接客、言葉づかい――。

商売は、
単に物を売ることではなく、
“人としての信用”
を育てる仕事である。

そんな考えが、
店全体に息づいていたのです。
 

最終章 時代を越えて残るもの
 

 
上野百貨店の建物は、
すでに街の中には残されていない。
 
しかし、人々の記憶の中には、
今もなお
「上野さん」
の風景が静かに息づいている。
 
待ち合わせをした記憶。
家族と買い物へ出かけた記憶。
街へ出る高揚感。
そして、人々が行き交う賑わい。
 
それらは単なる百貨店の思い出ではなく、
宇都宮という街そのものの記憶でもある。
 
時代は変わり、
商いの形も変化していく。
 
だが、
「地域とともに生きる」
という思想は、
形を変えながらも、
確かに受け継がれている。
 
上野百貨店の歴史とは、
単なる一企業の歴史ではない。
 
それは、
人と街がともに歩んだ、
宇都宮の時代の記録なのである。
 

むすびに
 

 
今回、蔵より発見された
『上野百貨店80年の歩み』
をはじめとする資料群
を整理する中で、
改めて感じたことがある。
 
それは、
上野百貨店とは、
単なる「商業施設」
ではなかったということである。
 
そこには、
地域の暮らしがあり、
人々の日常があり、
時代そのものが存在していた。
 
そして、
その根底には、
上野家に受け継がれてきた
「信義」

「地域とともに生きる」
という思想が流れていたように感じる。
 
時代の変化とともに、
建物も、
事業も、
その役割を終えていく。
 
しかし、
人を想う心や、
地域とともに歩もうとする姿勢は、
今なお、静かに受け継がれている。
 
本稿が、
かつて宇都宮に存在した
「上野さん」
の記憶を、
次の時代へつなぐ
一助となれば幸いである。
 

 
上野百貨店にまつわる逸話
-人々の記憶に残る「上野さん」-
 

 
上野百貨店の歴史には、
数字や記録だけでは語り尽くせない、
数多くの逸話が残されている。
 
そこには、
地方都市・宇都宮の時代の空気と、
激動の時代を生き抜いた商人たちの、
生々しい息遣いがあった。
 
 
■「男ならそのくらいの
 意気がなければいけない」
 
百貨店創設の話が持ち上がった当時、
周囲の親族たちの多くは、
そのあまりにも大きな挑戦
に反対していたという。
 
そんな中、
初代・上野房之助の妻であり、
上野小七の養母でもあった
上野カネは、
静かにこう語った。
 
「どうしてもやりたいならおやりなさい。
男ならそのくらいの意気がなければいけない。
 
たとえ失敗しても、
私は悪愚痴をこぼさないから、
あなたも愚痴をこぼしてはならないよ」
 
この言葉が、
後の上野百貨店誕生への
大きな支えとなった。
 
 
■「宇都宮の上野さんか!」
 
後年、
池田勇人元首相が、
上野百貨店関係者と再会した際、
懐かしそうにこう語ったという。
 
「宇都宮の上野さんか!
よく知っているよ。
 
私が若い頃、
最初に税務署長として赴任した時、
すぐに店の人が来て
掛売口座を作らされた。
最初に買ったのは布団だったよ」
 
当時、
上野百貨店は、
第十四師団の士官層や、
県庁・官庁関係者など、
将来性のある顧客層へ
積極的に営業を行っていた。
 
それは、
地方都市においては
極めて先進的な、
「ターゲットを見据えた商売」
であった。
 
 
■ミカン箱から始まった戦後復興
 
昭和二十年、
宇都宮大空襲によって、
店舗は完全に崩壊した。
 
しかし、
その翌月には、
すでにミカン箱の上へ
トタン板を並べ、
商売を再開していたという。
 
「まずは、
もう一度、
街に灯をともしたい」
 
そんな想いが、
焼け跡の中に残っていた。
 
そして昭和二十九年、
宇都宮初のエレベーターを備えた
新店舗が完成する。
 
戦後復興とともに歩んだ、
上野百貨店の不屈の歴史であった。
 
 
■荷馬車と蓄音機
 
大正期の大改築では、
年間売上七万円の時代に、
五万円もの巨費を投じたことで、
店はあまりにも近代的で
豪華になりすぎた。
 
その結果、
農村部のお客様が、
「入りにくい店」
と感じてしまう
苦境にも陥ったという。
 
しかし、
上野百貨店は
そこで立ち止まらなかった。
 
荷馬車へ商品を積み、
さらに蓄音機を鳴らしながら、
日光街道を巡回して
宣伝販売を行ったのである。
 
泥臭くも圧倒的な行動力で、
時代を切り開いていった。
 
 
■「正札販売」という革命
 
まだ、
値切り売りが
当たり前だった時代。
 
上野百貨店では、
県内でも早い時期から、
「現金正札主義」
を導入していた。
 
誰に対しても同じ価格で、
誠実に商売を行う。
 
その積み重ねが、
「上野さんなら安心」
という、
地域からの大きな信用
につながっていった。
 
 
■床屋さんは、
 町一番の情報屋だった
 
当時、
地域の床屋には、
婚礼や引越し、
人事異動など、
町の様々な情報が
自然と集まっていた。
 
上野百貨店では、
情報係の小僧さんを、
五日ごとに
床屋へ通わせていたという。
 
しかも、
床屋代は店持ちであった。
 
そうして集められた
情報をもとに、
宇都宮にまだ数台しかなかった自動車で、
お客様を送迎しながら
販売を行っていた。
 
人の暮らしを知ること。
 
それもまた、
商売の大切な力であった。
 
 
■「人を育てる」ための学校
 
大正十一年、
上野百貨店は、
現在の宇都宮学園高校へ依頼し、
店専用の一学級
を設けてもらった。
 
しかも、
そのために投じた費用は、
当時の資本金の三分の一
にも及んだという。
 
若者たちは、
一年間全日制で、
接客や商売について学んだ。
 
後の百貨店発展を支えたのは、
こうした「人づくり」の思想
でもあったのである。
 
上野百貨店の歴史とは、
単なる商業の歴史ではない。
 
そこには、
人を信じ、
地域を信じ、
時代に挑み続けた、
宇都宮の人々の記憶が、
今も静かに息づいているのである。
 

特別資料
 

 
特別資料①
『上野百貨店80年の歩み』

明治28年に本郷町に呉服店を開業以来、
創業80周年を記念して
昭和50年8月に発刊された小冊子。
 
全文をご覧になりたい場合には、以下のリンクより閲覧頂けます。
 
▶『上野百貨店80年の歩み』記念冊子へ

 
特別資料②
『上野百貨店本館オープン時のチラシ資料』
上野百貨店の本館オープンを記念して
作成されたチラシ資料。
 

 
特別資料③
『上野百貨店の包装紙』
上野百貨店を象徴する臙脂色(えんじいろ)の包装紙。
上野百貨店の包装紙に包まれた商品が、
当時は贈答品としてブランドであった。
 

編集後記 時代を継ぐということ
 

 
歴史資料を整理していると、
そこには単なる古い記録だけではなく、
時代を生きた人々の想い
が残されていることに気づかされる。
 
上野百貨店の資料群もまた、
単なる商業史ではなく、
宇都宮という街とともに
歩んだ人々の営みの記録であった。
 
今回の『上野家260年歴史アーカイブ』は、
過去を懐かしむためだけの企画ではない。
 
先人たちが、
どのような想いで時代と向き合い、
地域とともに歩んできたのか。
 
その足跡を見つめ直し、
これからの時代へどう受け継いでいくのか
を考えるための試みでもある。
 
時代が変わっても、
人を大切にすること。
地域とともに生きること。
信頼を積み重ねること。
 
そうした普遍的な価値は、
これからも変わることなく、
次の時代へ受け継がれていくのだと思う。
 

次代へ継ぐメッセージ
 

 
時代が変われば、
商いの形も、
街の風景も変わっていく。
 
かつて宇都宮の中心で、
多くの人々に親しまれた
「上野さん」
もまた、
ひとつの時代の役割を終えた。
 
しかし、
先人たちが遺したものは、
建物や事業だけではない。
 
人を大切にすること。
地域とともに歩むこと。
そして、
信用を何より重んじること。
 
それらは、
時代を越えて受け継がれていく
“目に見えない財産”
であるように思う。
 
『上野百貨店80年の歩み』
に刻まれていたのは、
単なる百貨店の歴史ではなく、
宇都宮という街とともに生きた、
人々の営みの記憶であった。
 
本稿が、
かつて存在した
「上野さん」
の記憶を未来へつなぎ、
これからの時代を
生きる人々にとって、
何か小さな灯となれば幸いである。
 

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■■■上野家商業ネットワーク形成史■■■
-上野家近代化の源流をたどる-
 
▶ 第五章|『宇都宮近代商業ネットワーク形成史』へ
-上野家本流と分流-
地方都市宇都宮に形成された、
近代商業連携構造の実像。

【本企画について】
本アーカイブは、
上野家に伝わる史料・写真・記録類をもとに、
歴史資料として再構成した特別企画です。
・文章構成・編集:歴史アーカイブ制作チーム
・史料提供・内容監修:上野拓也
(株式会社上野 代表取締役)