私の物語

-八代目・上野泰男が語る上野家の記憶-

八代目・上野泰男が遺した、
上野家と株式会社上野の記録。

戦前から戦後、
そして現代へ。

その言葉の中には、
時代を生き抜いた者だけが知る記憶と、
次代へ託された想いが静かに綴られている。

序章 屋号の残る家
 

 
宇都宮市・本郷町。
現在の泉町。
 
かつてこの地には、
「上野松次郎商店」
の屋号を掲げた建物があった。
 
肥料商として、
そして地域の商いを
支える家として、
上野家はこの場所で
長い年月を重ねてきた。
 
黒く重厚な土蔵。
 
格子窓。
 
時代を刻んだ瓦屋根。
 
そして、
今も残る古い看板。
 
そこには、
確かに「上野松次郎商店」
の文字が刻まれている。
 
時代は変わった。
 
町並みも変わった。
 
事業の形も変わった。
 
肥料商から株式会社上野へ――。
 
泉町から問屋町へ――。
 
しかし、
変わり続ける時代の中でも、
変わらず残り続けたものがある。
 
それは、
「信用」を大切にする商いの心であり、
 
人と地域を支え続けようとする、
上野家の精神であった。
 
古い建物の中には、
今も静かな時間が流れている。
 
その空気は、
まるで過去の人々の声を、
現代へ伝え続けているかのようである。
 

 
【泉町上野本家 外観写真】
上野本家の外観写真。
(1980年頃の撮影)
 

第一章 油屋松次郎の時代
-地域とともに生きた商家-
 

 
【上野松次郎商店 創業期写真】
泉町に構えられた上野松次郎商店。
「肥料」の看板には、地域とともに歩んだ
商家の歴史が刻まれている。
 

 
上野家の歴史を辿っていくと、
必ず行き着く名前がある。
 
「油屋松次郎」。
 
それは、
代々受け継がれてきた屋号であり、
同時に、
地域の中で生きてきた商家としての記憶でもあった。
 

 
【上野松次郎商店 看板】
”上野松次郎商店”
と書かれた木製の看板が印象的。
 

 
泉町本家には、
今も当時の面影が静かに残されている。
 
古い蔵。
 
木造の建物。
 
そして、
「肥料」の文字が大きく掲げられた看板。
 
当時、
肥料は地域の農業を支える
重要な商材であり、
上野松次郎商店は、
宇都宮周辺の農家や地域経済と
深く結びつきながら、
商いを続けていた。
 

 
【上野松次郎商店 店舗全景(昭和25年頃)】
代々受け継がれてきた泉町本家の風景。
「住友肥料」の看板が印象的。
上野家の商いと暮らしの中には、
いつもこの建物があった。
 

 
商売の規模だけではない。
 
そこにあったのは、
「信用」を何より大切にする姿勢だった。
 
後に発見された上野家家訓の中にも、
「信義」という言葉が繰り返し現れる。
 
それは、
単なる精神論ではなく、
実際の商いの中で培われてきた、
上野家の生き方
そのものだったのかもしれない。
 
時代は、
明治から大正、
そして昭和へと
移り変わっていく。
 
戦争。
 
統制経済。
 
戦後復興。
 
社会は大きく姿を変えていった。
 
しかし、
その中でも、
上野家は地域の中で商いを続けてきた。
 
変わり続ける時代の中で、
何を変え、
何を守るのか――。
 
その問いは、
後の時代へ、
静かに受け継がれていくことになる。
 

 
【現在の泉町本家】
時代とともに街並みは変わった。
しかし、上野家の記憶は、
今も静かにこの場所に残されている。
 

第二章 戦争と戦後
-失われていく時代の中で-
 

 
昭和という時代は、
上野家にとっても、
大きな転換期となった。
 
戦争は、
人々の暮らしだけでなく、
地域の商いのあり方
そのものを変えていった。
 
物資統制。
 
空襲。
 
戦後の混乱。
 
それまで当たり前だった風景は、
少しずつ姿を消していった。
 
後にまとめられた
『私の物語』の中には、
当時の暮らしや、
戦時下の空気が静かに記されている。
 
「英語は敵国語だ」
 
幼少期、
父・俊三からそう教えられた記憶。
 
あるいは、
祖母・タミから繰り返し教えられた、
「赤にだけはなるな」という言葉。
 
そこには、
時代を生き抜こうとした人々の、
切実な感覚が残されている。
 
戦後、
社会の仕組みは大きく変わった。
 
財産税。
 
農地解放。
 
価値観の変化。
 
戦前から続いてきた商家文化も、
少しずつ姿を変えていった。
 
しかし、
そんな激動の時代の中でも、
上野家は、
地域とのつながりを
失わずに歩み続けていく。
 
そして、
戦後の復興期。
 
上野家は、
新たな時代へ向けた挑戦を始めていく。
 
それが後の、
松寿苑、
ホテル事業、
そして株式会社上野
へとつながっていくことになる。
 

 
【戦後の上野松次郎商店(昭和25年頃)】
戦後間もない頃の上野松次郎商店。
時代が大きく変わる中でも、
泉町の商いは静かに続いていた。
 

第三章 松寿苑の時代
-新しい時代への挑戦-
 

 
【松寿苑 創業当初の庭園風景】
戦後、
新しい時代への挑戦として始まった松寿苑。
静かな庭園と和の空間は、
多くの人々を迎え入れていった。
 

 
戦後復興が進む中、
人々の暮らしは
少しずつ落ち着きを取り戻していった。
 
結婚式。
 
宴会。
 
地域の集まり。
 
人々は再び、
「人と集う場所」
を求め始めていた。
 
そうした時代の流れの中で、
上野家は、
新たな挑戦へ踏み出していく。
 
それが、
松寿苑であった。
 
静かな庭園。
 
広い座敷。
 
四季折々の風景。
 
松寿苑は、
単なる結婚式場ではなく、
人々の人生の節目を支える場所として、
地域に根づいていった。
 

 
【松寿苑 婚礼パンフレット】
松寿苑婚礼案内より。
”厳しくも華やかに” 昭和の婚礼文化を
象徴する言葉が並ぶ。
 

 
婚礼だけではない。
 
茶会。
 
宴会。
 
法事。
 
地域行事――。
 
そこには、
戦後の地域社会そのものが集まっていた。
 
『私の物語』の中にも、
松寿苑に関する様々な記憶が残されている。
 
忙しく立ち働く人々。
 
婚礼の日の緊張感。
 
大勢の来客。
 
厨房の熱気。
 
そして、
人と人とのつながり。
 
松寿苑は、
戦後の地域文化を支える、
ひとつの“舞台”となっていった。
 

 
【松寿苑 婚礼案内パンフレット】
年間400組を超える婚礼を支えた松寿苑。
その全盛期の空気が、当時のパンフレット
から伝わってくる。
 

 
しかし、
時代は再び変化していく。
 
高度経済成長。
 
大型婚礼施設の登場。
 
社会の価値観の変化。
 
松寿苑もまた、
新しい時代の波の中に置かれていくことになる。
 
その現実は、
当時の営業報告書にも静かに記されている。
 

 
【松寿苑 決算報告書(昭和45~46年期)】
婚礼大型化と時代変化への対応に苦慮
していた様子が記されている。
 

 
それでも、
そこに流れていたものがあった。
 
人を迎える心。
 
地域とのつながり。
 
そして、
「信用」を大切にする姿勢である。
 
それは、
上野松次郎商店の時代から、
静かに受け継がれてきたものだった。
 

 
【松寿苑 館内写真】
婚礼の他、茶会、宴会、法事、地域行事等、
松寿苑は、
宇都宮の地域文化を静かに支えていた。
 

第四章 模索
-地域会合への転換-
 

 
高度経済成長。
 
人々の暮らしは、
豊かさを増していった。
 
一方で、
時代の変化は、
松寿苑にも少しずつ影響を与え始めていた。
 
大型結婚式場。
 
ホテル婚礼。
 
新しい時代の披露宴文化。
 
かつて主流だった、
地域に根ざした和風婚礼は、
少しずつ姿を変えていく。
 
松寿苑もまた、
大きな転換期を迎えていた。
 
しかし、
松寿苑は、
ただ時代に取り残されていったわけではなかった。
 
婚礼だけではなく、
 
茶会。
 
宴会。
 
法事。
 
地域会合。
 
展示会。
 
地域の人々が集う場所として、
その役割を少しずつ変えていったのである。
 
時代が変わっても、
「人が集う場所」であり続けようとした。
 
それは、
創業以来、
上野家が大切にしてきた
「地域とのつながり」
そのものでもあった。
 
静かな庭園。
 
和の空間。
 
ゆったりと流れる時間。
 
松寿苑には、
大型施設にはない、
独特の空気が残されていた。
 
そこには、
効率や規模だけでは測れない、
人と人との距離感があった。
 
そして、
その空間を最後まで支え続けたのは、
表にはあまり語られることのなかった、
家族たちの存在でもあった。
 

第五章 新しい時代への挑戦
-ホテルサンシャインと情報化時代へ-
 

 
【ホテルサンシャイン全景写真】
1980年開業。
八代目・上野泰男が挑戦した、
新時代の都市型ホテル事業。
 
松寿苑以来受け継がれてきた
「人を迎え、もてなす」精神は、

新たな時代の
ホテル文化へと継承されていった。
 

 
戦後の復興を経て、
時代は大きく変化していった。
 
人々の暮らしは豊かになり、
宇都宮の街並みもまた、
少しずつ新しい時代の空気へと
移り変わっていった。
 
そのような中で、
上野泰男は、
従来の事業だけにとどまることなく、
新たな分野
への挑戦を続けていった。
 
ホテルサンシャインの経営も、
そのひとつであった。
 
松寿苑以来、
「人を迎え、もてなす」という
上野家の文化を受け継ぎながら、
新しい時代の宿泊・宴会文化
へ対応していこうとしたのである。
 
さらに上野泰男は、
これからは情報化の時代
が来ることを見据え、
サンシャインコンピューターサービス
という
新たな事業にも挑戦した。
 
地方都市において、
まだコンピューター
という言葉そのものが
一般には遠い存在であった時代である。
 
上野泰男は常に、
「時代が変われば、
商いもまた変わらなければならない」
という考えを持っていた。
 
それは、
三代目以来、
上野家に受け継がれてきた
“不易流行”の精神
そのものだったのかもしれない。
 
時代に合わせ、
姿を変えながらも、
人と地域に必要とされる
存在であり続ける。
 
上野泰男の歩みは、
まさにその実践の連続
であったのである。
 

 
【ホテルサンシャイン新館完成時
代表・上野泰男 挨拶文】
 
1991年、
ホテルサンシャイン新館完成時の
上野泰男による挨拶文。
「変身し、成長し続けるホテル」
という言葉には、
時代に合わせ挑戦を続けた
八代目の経営哲学が込められている。
 

 
【サンシャインコンピューターサービス株式会社
会社封筒写真】
 
八代目・上野泰男が挑戦した
情報化時代への新事業。
 
地方企業において、
まだコンピューターが
一般化していない時代、
上野家は新たな可能性を見据え、
時代の変化へ挑戦していた。
 
上野家は、
hospitality(もてなし)
だけでなく、
情報化という
新時代の流れにも挑戦していた。
 

第六章 家を支えた人々
-語られなかった存在-
 

 
【上野まさ(戸籍名:雅子)】
六代目・上野松次郎の妻。
松寿苑創業期の現場を支え続けた存在。
人を迎える空気は、
その姿勢によって育まれていった。
 

 
松寿苑の歴史を振り返るとき、
忘れてはならない存在がある。
 
それは、
表にはあまり語られることのなかった、
家族たちの姿である。
 
創業期の松寿苑を、
実際の現場で支え続けたのは、
上野まさ(雅子)であった。
 
六代目・上野松次郎の妻。
 
しかし、
その役割は、
単なる“家族”
という言葉だけでは語りきれない。
 
婚礼。
 
宴会。
 
接客。
 
現場の采配。
 
人を迎える空気づくり。
 
松寿苑の日常は、
上野まさの存在によって支えられていた。
 
一方で、
七代目・上野俊三、
そして上野三郎らが、
経営面からその土台を支えていた。
 
表に立つ人。
 
裏で支える人。
 
松寿苑という場所は、
そうした多くの人々の力によって、
少しずつ形づくられていったのである。
 
やがて時代は移り変わっていく。
 
上野まさ亡き後、
松寿苑は再び
大きな転換期を迎えることになる。
 
その流れの中で、
現場を支える役割は、
少しずつ次の世代へ
受け継がれていった。
 
そして後年、
松寿苑の現場を静かに支え続けたのが、
上野鈴子であった。
 
華やかな表舞台の裏側には、
いつの時代も、
「家」を支え続けた人々の存在があった。
 
それは、
歴史の表には残りにくい、
もうひとつの上野家の歴史でもあった。
 

 
【松寿苑の静かな空間】
多くの人々を迎えてきた松寿苑。
その空間は、
日々の積み重ねによって守られてきた。
 

第七章 上野会
-上野家をつないだ新年会-
 

 
【松寿苑での上野会新年会集合写真】
昭和40年初頭頃の上野会新年会。
松寿苑庭園には、毎年、
多くの家族や
親族が集まっていた。
 

 
松寿苑は、
単なる結婚式場ではなかった。
 
そこは、
人と人をつなぐ“場”でもあった。
 
その象徴ともいえる存在が、
「上野会」である。
 
昭和40年頃から始まった上野会は、
毎年1月3日に開かれる、
上野家親族による新年会であった。
 
最盛期には、
約60名もの親族が集まったという。
 

 
【上野会新年会 歓談風景①】
松寿苑の庭で語らう人々。
上野会では、親族や家族が世代を
越えて集い、交流を深めていた。
 

 
子どもたちが走り回り、
大人たちが語り合い、
新しい一年の始まりを祝う。
 
そこには、
商売の話だけではない、
「家族の時間」が流れていた。
 
創業期の上野会は、
松寿苑で開催されていた。
 

 
【上野会新年会 歓談風景②】
子どもたちの成長を見守る大人たち。
上野会には、家族の記憶が静かに
受け継がれていた。
 

 
その後、
時代とともに、
開催場所も少しずつ変わっていく。
 
上野百貨店。
 
ホテルサンシャイン。
 
そして現在は、
宇都宮市内の宴会場へ――。
 
場所は変わっても、
上野会そのものは、
今も続いている。
 
幼少期、
松寿苑で開かれた上野会の風景は、
今も記憶の中に残っている。
 
祖父・上野俊三の姿。
 
集まった親族たちの笑い声。
 
新年の空気。
 
松寿苑の広間。
 
その場所には、
確かに「家」が存在していた。
 
そして現在、
その上野会は、
九代目である上野拓也へと受け継がれている。
 
松寿苑は、
やがてその役割を終え、
建物も姿を消した。
 
しかし、
人と人とのつながりは、
今も静かに受け継がれている。
 
松寿苑は、
「人と人をつなぐ場」
だったのである。
 

第八章 時代の終わりと、新たな始まり
-松寿苑、その静かな終幕-
 

 
時代は、
少しずつ変わっていった。
 
高度経済成長を経て、
人々の暮らしや価値観は大きく変化していく。
 
婚礼のかたちも変わった。
 
地域で行われていた披露宴は、
大型結婚式場やホテル婚礼へと移り変わっていった。
 
かつて、
宇都宮の「祝いの日」を支えていた松寿苑も、
時代の流れの中で、
少しずつその役割を変えていくことになる。
 
婚礼中心の時代から、
和食処、
地域会合、
各種催事へ――。
 
松寿苑は、
最後まで、
「人が集う場所」であり続けようとしていた。
 
しかし、
社会そのものが変わっていった。
 
接待文化。
 
地域共同体。
 
大家族。
 
そうした昭和の風景も、
次第に姿を変えていった。
 

 
【松寿苑エントランス写真】
多くの人々を迎えてきた松寿苑。
その時間は、
今も静かに記憶の中に残っている。
 

 
そして2002年(平成14年)。
 
松寿苑は、
長い歴史に静かに幕を下ろすこととなる。
 
建物は姿を消した。
 
しかし、
そこに流れていた時間まで、
失われたわけではなかった。
 
人を迎える心。
 
地域とのつながり。
 
家族が集う風景。
 
それらは、
形を変えながら、
次の時代へ受け継がれていった。
 
松寿苑は、
単なる料亭や結婚式場ではなかった。
 
そこは、
時代と人とをつなぐ、
ひとつの“場”だったのである。
 

 
【上野俊三・資子夫妻】
松寿苑の時代を支え続けた人々。
その時間は、
静かに次の世代へ受け継がれていった。
 

 
泉町本家での時代は、
一つの節目を迎えました。
 
しかし、先人たちが築き上げてきた
信用と精神は、
形を変えながら次の時代へ
受け継がれていきました。
 
昭和40年代後半、
株式会社上野は
宇都宮卸商業団地の地へ拠点を移し、
新たな時代への歩みを始めます。
 
現在の株式会社上野は、
その歩みの延長戦上にあります。
 

 
【問屋町移転直後の株式会社上野】
株式会社上野へ社名変更直後の
新本社社屋
(昭和40年代後半頃)
 

最終章 不易流行
-受け継がれていくもの-
 

 
時代は変わり続けていく。
 
町並みも。
 
商いの形も。
 
人々の暮らしも。
 
かつて泉町にあった上野松次郎商店も、
松寿苑も、
今はその姿を変えている。
 
しかし、
変わらなかったものもあった。
 
人とのつながり。
 
地域への想い。
 
「信用」を大切にする姿勢。
 
そして、
時代に合わせて、
自らも変わり続けようとする意志である。
 
上野家の歴史を振り返ると、
そこには、
常に「変化」があった。
 
商家から、
松寿苑へ。
 
松寿苑から、
ホテル事業へ。
 
そして、
現在の株式会社上野へ――。
 
時代の流れの中で、
事業の形は変わり続けてきた。
 
しかしその根底には、
代々受け継がれてきた、
変わらぬ価値観が静かに流れている。
 
それは、
後に上野家家訓として整理され、
現在の株式会社上野の理念体系、
そして「不易流行」という社是へと
つながっていった。
 
変えてはいけないもの。
 
変わり続けなければならないもの。
 
その両方を抱えながら、
上野家は、
260年という時間を歩み続けてきたのである。
 
振り返れば、
そこには、
数え切れないほどの人々の時間があった。
 
店先で働く人々。
 
松寿苑を支えた人々。
 
上野会に集った家族たち。
 
そして、
次の世代へ何かを残そうとした人々――。
 
「私の物語」は、
単なる一人の回想録ではない。
 
それは、
時代を生きた人々の記憶であり、
次の時代へ受け継がれていく、
静かな記録なのである。
 

 
【ホテルサンシャインパンフレット内
『松寿苑』紹介ページ】
 
ホテルサンシャインの時代においても、
松寿苑の歴史と精神は、
「松寿苑別館」として受け継がれていた。
 
上野家の“おもてなし”の文化は、
形を変えながら、
次の時代へ
継承されていったのである。
 

 
【泉町本家での新年のひととき】
世代を超えて受け継がれてきた、
上野家の時間。
幼い子どもたちの姿の中にも、
次の時代へ続く物語が映し出されている。
 

むすびに
 

 
時代は変わっていく。
 
建物も、
商いも、
人々の暮らしも、
少しずつ姿を変えていく。
 
しかし、
長い年月の中で、
変わらず受け継がれてきたものがある。
 
それは、
人を大切にする心であり、
地域とのつながりであり、
誠実に生きようとする姿勢だった。
 
上野家260年の歴史は、
決して特別な誰かだけの物語ではない。
 
時代を生きた、
ひとりひとりの積み重ねの記録なのである。
 

編集後記 時代を継ぐということ
 

 
古い写真を一枚ずつ見返していく中で、
そこに写っていたのは、
特別な成功物語ではありませんでした。
 
時代の変化に迷いながら、
悩みながら、
それでも地域の中で商いを続け、
人とのつながりを守り続けてきた、
ごく普通の人々の姿でした。
 
失われていったものもあります。
 
時代とともに、
姿を変えていったものもあります。
 
しかしその一方で、
変わらず受け継がれてきたものも確かにありました。
 
今回の『上野家260年 歴史アーカイブ』は、
単なる過去の記録ではありません。
 
過去から現在、
そして未来へと続いていく、
“記憶の継承”でもあります。
 
今回の制作にあたり、
蔵から発見された数々の資料、
写真、
手紙、
そして『私の物語』という記録は、
当時を知るための大切な“語り部”となりました。
 
これらの記録が、
次の時代へ、
静かに受け継がれていくことを願っています。
 

 
【上野松次郎商店 看板】
長い年月を経て、
現在も大切に保管されている、
上野松次郎商店の看板。
 


■『私の物語』について
 

 
『私の物語』について
 
本記事の中でたびたび引用した
『私の物語』は、
上野泰男が産経新聞連載「私の物語」をもとに、
後年、小冊子としてまとめた記録である。
 
幼少期の記憶、
戦時下の暮らし、
戦後復興、
そして松寿苑やホテル事業に至るまで、
激動の昭和を生きた一人の視点から、
上野家と地域の歴史が静かに綴られている。
 
今回の歴史アーカイブ制作においても、
本冊子は、
過去を知るための大切な“語り部”となった。
 

 
【上野泰男著『私の物語』】
産経新聞連載記事をもとに
後年まとめられた小冊子。
本歴史アーカイブ制作における
重要資料のひとつ。
 

 
【『私の物語居』「はじめに」より】
自身の人生を振り返り、
”古き良き時代を思い起こすことが
できました”と静かに綴られている。
 

 
【『私の物語』第一章抜粋】
『私は油屋の八代目』より
上野家のルーツや、
初代・油屋松次郎
について記された冒頭部分。
 

参考資料
 

 
『私の物語』について
産経新聞(平成8年1月連載・上野泰男著)
 
上野泰男が産経新聞連載「私の物語」をもとに、
後年、小冊子として発行したもの。
全文をご覧になりたい場合には、
以下のリンクより閲覧頂けます。
 
▶『私の物語』へのリンク
 

【本企画について】
本アーカイブは、
上野家に伝わる史料・写真・記録類をもとに、
歴史資料として再構成した特別企画です。
・文章構成・編集:歴史アーカイブ制作チーム
・史料提供・内容監修:上野拓也
(株式会社上野 代表取締役)