五代目 上野松次郎
-銚子より来たり、宇都宮の近代を築いた男-

肥料商として家業を継ぎ、商業・金融・政治・都市インフラ整備へと歩みを広げた五代目上野松次郎。
その人生は、一商人の成功譚ではなく、「地方近代」という時代そのものを生き抜いた軌跡であった。

 
明治から昭和初期にかけて、
日本は大きく姿を変えていった。

鉄道が走り、
銀行が生まれ、
都市に水道が引かれ、
地方にも近代化の波が押し寄せていく。
 
その激動の時代、
宇都宮の地で静かに、
しかし確かな足跡を残した人物がいた。
 
五代目・上野松次郎。
 
千葉県銚子から宇都宮の上野家へ
養子として迎えられた青年は、
やがて肥料商を継ぎ、
地域経済を支える実業家となり、
さらに商工会議所、
銀行、
市政、
そして国政へと
歩みを進めていく。
 
しかし、
その人生は決して「名士伝」ではない。
 
そこには、
家を守った女性たちの存在があり、
商いによって結ばれた縁があり、
地方都市の発展を願った
静かな情熱があった。
 
本稿は、
五代目上野松次郎
という一人の人物を通じて、
近代宇都宮の歩み
そのものを描こうとする試みである。
 

第一章 銚子から来た青年
 

 
五代目上野松次郎は、
万延元年(一八六〇)、
千葉県銚子町に生まれた。
 
当時の上野家は、
宇都宮において
長く商いを続ける家であり、
肥料商として
地域経済を支える存在となっていた。
 
一方、
銚子は古くから漁業と流通で栄えた町である。
 
干鰯、魚粕――。
 
近代以前の農業に欠かせなかった
有機質肥料は、
海と深く結びついていた。
 
後年、
上野泰男が『私の物語』の中で
記しているように、
上野家では銚子方面から
魚粕などを仕入れており、
その流れの中で多くの番頭衆が
宇都宮へ迎えられていた。
 
松次郎が上野家へ迎えられた背景にも、
こうした「商流による人の移動」があった
と考えられる。
 
つまり彼は、
偶然現れた人物ではない。
 
商いが結んだ縁の中から、
上野家へ導かれてきた人物だったのである。
 

第二章 上野家へ入る
 -タミと家の継承-
 

 
明治十六年(一八八三)、
豊次郎(後の五代目松次郎)は
宇都宮の上野家へ養子として迎えられた。
 
ここで重要なのは、
 
「家を継いだ」のは
 
実は五代目松次郎だけではなかった
 
という点である。
 
上野家直系の中心には、
四代目松次郎の長女・タミがいた。
 
つまり、
 
・タミが「上野家」を継承し、
・豊次郎はその家へ入った。
 
この構造こそ、
今回の記事の核心である。
 
後年の資料にも、
 
「妻 タミ 四代松次郎長女」
 
と明記されている。
 
上野家は、
松次郎一人によって築かれたのではない。
 
そこには、
 
・家を守る女性
・家を継ぐ女性
・縁をつなぐ女性
 
たちの存在があった。
 
そして、
その中心にいたのが上野タミであった。
 

第三章 肥料商から地域経済へ
-三盟商会の時代-
 

 
家督を継いだ五代目松次郎は、
父祖伝来の肥料商を継承する。
 
だが彼は、
単なる「店の主人」では終わらなかった。
 
明治以降、
日本の産業構造は急速に変化していく。
 
農業、流通、金融。
 
地方経済もまた、
近代化への対応を迫られていた。
 
その中で松次郎は、
商人としての感覚だけでなく、
「地域経済全体を見る視点」
を持ち始めていく。
 
後の三盟商会構想も、
その延長線上にあった。
 
単独の商家として生き残るのではなく、
 
「地域全体をどう発展させるか」
 
を考え始めていたのである。
 

第四章 都市をつくる
-商業会議所・銀行・水道事業-
 

 
明治二十七年(一八九四)、
宇都宮商業会議所設立。
松次郎はその中心人物となり、
後に会頭へ就任した。
 
さらに、
・宇都宮銀行
・下野中央銀行
・下野製紙
・宇都宮瓦斯
・下野新聞社
・下野印刷
など、
多方面で地域経済の発展に関与していく。
しかし、ここで特筆すべきは、
 
宇都宮水道事業
 
への関与である。
 
大正期、
宇都宮市は
近代都市への大転換期を迎えていた。
 
その象徴が「水道」であった。
 
資料には、
 
「市会議長 上野松次郎」
 
として、
関係者の中心にその名が確認できる。
 
これは単なる名誉職ではない。
 
水道とは、
 
・衛生
・防火
・都市拡張
・近代生活
 
その全てを支える基盤だった。
 
つまり松次郎は、
 
「宇都宮という都市そのもの」
 
の近代化に関与していたのである。
 

第五章 市議会議長として
-市民に近い政治-
 

 
大正三年(一九一四)、
松次郎は
宇都宮市議会議長へ選出される。
 
後年残された集合写真には、
県内市議会議長たちと並ぶ
松次郎の姿が写されている。
 
その姿には、
いわゆる政治家然とした威圧感はない。
 
むしろ、地域のために働く
「町の旦那衆」の空気が漂っている。
 
実際、彼の歩みは一貫して、
 
「地方を良くしたい」
 
という方向へ向いていた。
 
それは商人としての
利益追求だけでは説明できない。
 
地方都市が近代へ向かう中で、
 
「公共」を担おうとした商人
 
だったのである。
 

第六章 国家へ至る
-衆議院議員時代-
 

 
大正六年(一九一七)、
松次郎は
宇都宮市選出の衆議院議員となる。
 
立憲政友会に所属し、一期を務めた。
 
だが、この章において重要なのは、
 
「中央で何をしたか」
 
ではない。
 
地方で積み重ねた信頼が、
国家へ届いた。
 
その事実そのものに意味がある。
 
商人として始まった人生が、
 
・地域経済
・地方自治
・都市整備
・国政
 
へと静かにつながっていった。
 
それは、近代日本における
「地方名望家」
の一つの典型でもあった。
 
晩年に撮影された写真には、
椅子に腰掛ける
松次郎の姿が残されている。
 
その表情には、
若き日の鋭さよりも、
時代を生き抜いた人物特有の
静けさが漂っている。
 

第七章 家を遺す
-順一・文吉、そして広がる上野家-
 

 
その後、松次郎の後を継いだのは
長男・順一であった。
 
順一は温厚篤実な人物として知られ、
 
・宇都宮商工会議所
・市議会
・県議会
・地域金融界
・貴族院議員
 
などで活躍する。
 
また、弟・上野文吉もまた、
分家として独自の商流を築いていった。
 
ここで重要なのは、
 
上野家が
 
「一商家」
 
から、
 
「地域ネットワーク」
 
へ変化していったことである。
 
その流れは後に、
 
・上野百貨店
・上野文具
・家具の上野
・上野商事
 
などへ連なっていく。
 
つまり五代目松次郎の時代は、
 
「上野家経済圏」
 
の原型が形成された時代でもあった。
 

第八章 地域金融を背負った晩年
-金融統制と銀行再編劇-
 

 
昭和期に入り、
全国的な金融統制と
銀行再編の波が
地方へ押し寄せるなか、
五代目松次郎は、
下野中央銀行頭取として
地域金融の維持という
極めて重い責任を背負うこととなった。
 
複雑な利害調整と統合交渉が続くなか、
松次郎は最後までその任を全うし、
合併調印という大役を終えたその日、
自宅へ戻った直後に脳溢血で倒れた
と伝えられている。
 
宇都宮の近代化に
人生を捧げた五代目松次郎は、
その晩年においてもまた、
地域金融を守るために
最後まで責任を果たし続けたのであった。
 

最終章 地方近代を生きた人物
 

 
昭和十一年、
松次郎は隠居し、
家督を順一へ譲った。

そして昭和十四年、
八十年の生涯を閉じる。
 
しかし、彼が遺したものは、
単なる事業ではない。
 
銀行。
 
商工会議所。
 
水道。
 
市政。
 
地域経済。
 
そして、人の縁。
 
その全てが、
現在の宇都宮へ静かにつながっている。
 
五代目上野松次郎とは、
 
「地方近代」
 
そのものを生きた人物だったのである。
 

むすびに
 

 
人は、ともすれば
「成功」だけを歴史として残そうとする。
 
だが本当に後世へ残るものは、
華やかな肩書ではない。
 
誰と出会い、
どの土地で生き、
どの家を守り、
何を地域へ遺したのか。
 
その積み重ねである。
 
五代目上野松次郎の人生には、

地方日本が歩んだ近代化の姿が、
そのまま映し出されている。
 
そして今なお、
その静かな足跡は、
上野家の歴史の中に息づいている。
 

五代目・上野松次郎 人物紹介
 

 
【五代目・上野松次郎 人物紹介】
 
宇都宮商工会議所初代会頭、
衆議院議員、実業家。
 
明治期から大正期にかけて活躍。
上野家の名を、
宇都宮を代表する実業家として
高めた人物。
 
肥料商「油屋松次郎」
を基盤としながら、
地域経済界・金融界・政界
へと活動を広げ、
近代宇都宮を支えた
人物の一人であった。
 
渋沢栄一、
田中正造らとも交流を持ち、
地域と国家をつなぐ存在として、
その足跡を残している。
 
その歩みは、
現在の株式会社上野へと続く、
近代上野家発展の大きな礎となった。
 

 
【若き日の豊次郎(後の五代目・上野松次郎)】
明治十七年頃に撮影された
上野豊次郎の貴重な肖像写真。
左が若き日の上野豊次郎(後の五代目松次郎)。
 
「松次郎」を襲名する以前、
新しい時代へ歩み始めた頃の豊次郎の姿を
今に伝える貴重な記録である。
 

 
【補足資料|下野紳士録】
1.下野紳士録 内容見本(冒頭ページ)
 

 
【補足資料|下野紳士録】
2.上野松次郎 掲載ページ
 

 
大正期に刊行された
『下野紳士録』には、
五代目・上野松次郎の
人物紹介が掲載されている。
 
これは、
当時の栃木県における
実業界
地域社会
の有力人物録であり、
上野松次郎が、
宇都宮を代表する実業家の一人
として認識されていたことを示す、
貴重な同時代資料である。
 
なお、
この原稿の下書きには、
後年、
七代目・上野俊三による
直筆の補足整理も残されており、
上野家の歴史が、
代々大切に継承されてきた
ことがうかがえる。
 

特別資料編
 

 
ここに掲載した写真・資料群は、
五代目上野松次郎の歩みを、
現代へ静かに伝える一次史料である。
 
地域経済、
公益事業、
文化活動、
そして中央政財界
との関わりなど、
 
多面的な足跡の一端をうかがうことができる。
 
激動の時代を生きた一人の実業家の姿、
そして、
その背後で家を支え続けた人々の存在を、
ぜひ資料そのものから感じ取って頂きたい。
 

 
資料①
宇都宮市議会議長時代の五代目上野松次郎。
県内各市議会議長との記念撮影。
上野俊三による直筆メモが裏面に残されている。
 

 
資料②
明治十六年前後 上野家女性肖像写真①
左端が五代目上野松次郎の妻・上野タミ。
養子継承によって続いた上野家において、
女性たちは「家」そのものを支える存在であった。
(上野本家直系女性としての存在を示す資料)
 

 
資料③
明治十六年前後 上野家女性肖像写真②
右端が五代目上野松次郎の妻・上野タミ。
上野家女性陣による集合写真。
明治初期の上野本家における女性たちの存在を伝える極めて貴重な一次資料。
 

 
資料④
五代目上野松次郎の直筆履歴書。
自らの出自、養子縁組、経歴について記されている。
今回の記事構成における極めて重要な一次史料。
 

 
資料⑤
宇都宮水道事業関係写真
前列の中央に五代目上野松次郎が着座する。
(水道布設事業関係者集合写真)
 

 
資料⑥
上野文吉人物紹介
五代目上野松次郎の弟。
上野文吉商店(後の上野商事株式会社)の創業者。
(分家・地域商工業発展の足跡)
 

 
資料⑦
『私の物語』掲載資料(抜粋)
上野家のルーツと、五代目上野松次郎の功績
について、上野泰男によって語られる。
(上野家の源流と肥料商の歴史)
 

 
資料⑧
晩年の五代目上野松次郎
(衆議院議員時代頃と推定される写真)
 

 
資料⑨
鵜月家関係資料(目録)
(明治廿四年九月三十日ヵ)
「目録」と題され、
金子・持参品・人物名
などが記された資料。
 
「上野松次郎」「鵜月庄三郎」
の名も確認でき、
銚子の鵜月家から上野家へ
迎えられた五代目松次郎に関する、
婿入り・養子縁組後の家関係整理資料
である可能性が考えられる。
 
上野家と鵜月家を結ぶ背景を伝える
極めて重要な一次資料として、
大切に保管されている。
 

 
特別資料
七代目・上野俊三による
『上野家代々略記』について
 
昭和57年4月15日付で、
七代目上野俊三によって記された
『上野家代々略記』。
 
本資料は、
上野本家に伝わる歴代当主の経歴、
事業変遷、
家系関係などをまとめた
極めて重要な記録である。
 
今回の
『五代目松次郎』
および
『上野家商業ネットワーク形成史』
各特集においても、
本資料は歴史考証上の重要な基礎史料となった。
 

 
【資料掲載】
①上野家代々略記(俊三自筆)
②上野本家家系図(基本図)
 

 
特別資料
『上野家代々略記(俊三自筆)』
 

 
七代目・上野俊三が昭和57年に記した
『上野家代々略記』
上野家初代からの歴史が記録されている。
 

 
五代目松次郎(豊次郎)の経歴部分。
銚子時代、神田遊学時代、
商業活動の歩みが詳細に記録されている。
 

 
『昭和57年4月15日 上野俊三記』
七代目自らが、
上野家史を後世へ残そうとした記録。
 

 
特別資料
『上野本家家系図』
 

 
上野本家の家系図。
本流・分流を含めた
上野家商業ネットワークの広がりを示している。
※九代目当主により一部加筆整理。
 

 
五代目上野松次郎は、
日光東照宮三百年祭奉斎会
の評議員として事業に参画し、
渋沢栄一ら中央財界人とも
接点を持ちながら、
地域社会と国家的記念事業
を結ぶ役割を果たした。
 
以下の資料群は、
その足跡を今に伝える一次資料である。
 

 
特別資料
日光東照宮三百年祭関連資料
 
①奉斎会評議員委嘱状(大正2年)
②農商務大臣関係書状(大正3年)
③日光東照宮三百年祭感謝状(大正4年)
 

 
特別資料①
奉斎会評議員委嘱状(大正2年)
日光東照宮三百年祭奉祭会より、
上野松次郎へ
評議員委嘱を通知した資料。
 
当時、奉祭会会長には
渋沢栄一が名を連ねており、
五代目松次郎が
国家的記念事業に関与していた
ことを示す重要な一次資料である。
 

 
特別資料②
農商務大臣関係書状(大正3年)
農商務大臣秘書課長・坂田幹夫より
上野松次郎宛に送られた書状。
 
日光東照宮三百年祭準備期
と重なる時期の資料であり、
五代目松次郎が
中央官界とも接点を持ちながら
活動していたことを物語っている。
 

 
特別資料③
日光東照宮三百年祭感謝状(大正4年)
第一次世界大戦による
社会不安の中にあっても、
日光東照宮三百年祭事業
に尽力した功績に対し
上野松次郎宛に贈られた感謝状。
 
「誠実ナル御尽力」の文字からは、
五代目松次郎の実務的貢献と厚い信頼を
うかがうことができる。
 

 
五代目上野松次郎は、
実業界のみならず、
地域文化事業や公益活動にも
深く関わっていた。
 
下野三楽園関係資料からは、
地域文化保存・支援活動
に対する五代目松次郎の姿勢
をうかがうことができる。
 

 
特別資料
地域文化・公益活動関連資料
 
①下野三楽園長 感謝状(大正3年)
②下野三楽園書状(大正3年)
 

 
特別資料①
下野三楽園長 感謝状(大正3年)
下野三楽園長より、
上野松次郎へ贈られた感謝状。
 
地域文化事業に対する
支援と協力への謝意が記されており、
五代目松次郎が
地域社会における文化・公益活動にも
深く関わっていたことを示している。
 

 
特別資料②
下野三楽園書状(大正3年)
下野三楽園より上野松次郎宛に送られた書状。
寄付金受領への感謝が記されており、
五代目松次郎が
地域文化活動の支援者として
実際に援助を行っていたことがうかがえる
貴重な一次資料である。
 

 
特別資料
『衆議院要覧(大正7年12月)』
 
大正7年『衆議院要覧』
に掲載された上野松次郎
 
大正7年(1918)発行の『衆議院要覧』には、
当時衆議院議員であった上野松次郎の
肖像および経歴が掲載されている。
 
本資料には、
原敬、尾崎行雄、鳩山一郎、田中正造ら
同時代の政治家たちも掲載されており、
五代目・上野松次郎が、
地方実業界のみならず、
当時の中央政界とも接続した存在であった
ことを示す極めて貴重な一次資料である。
 
また、掲載された経歴からは、
宇都宮商業会議所、宇都宮銀行、下野新聞社など、
地域経済・金融・報道・教育にわたる
広範な活動が確認できる。
 

 
特別資料
『五代目・上野松次郎への弔辞(昭和17年)』
①上野俊三による直筆弔辞メモ
②完全文字起こし
③弔辞内容の解説
 

 
①上野俊三による直筆弔辞メモ
宇都宮商工会議所代表副会頭 篠原定吉
から五代目・上野松次郎宛の弔辞(原文メモ)
 

 
②弔辞内容の完全文字起こし
 
宇都宮商工会議所会頭
上野松次郎殿
 
厳父豊次郎翁、溘焉として長逝せらる。
翁は本県実業界の先覚者として、
明治十六年早くも栃木県勧業諮問会員に挙げられ、
斯界の為大いに貢献せられたり。
 
当時業界の中心機関たらしむるの必要を痛感し、
商業会議所の設置を提唱し、
自ら発起人となり奔走の結果、
明治二十六年宇都宮商業会議所を創立し、
推されて初代会頭に就任せられたり。
 
以来引続き十有七年の間、
会頭として業界の向上発達に尽瘁せられ、
本会議所の今日あるは実に翁の力に俟つ所多大なり。
 
翁は地方商工業進展の黎明期に立ち、
其の英邁なる資性と敏活なる達見とを以て、
熱誠よく斯業の指導に任ぜられ、
功成り名遂げて後は、途を後進に開き、
悠々自適、最も幸福なる晩年を過されたり。
 
翁の遺されたる足跡の偉大にして、
功業の輝かしき、翁の如きは稀なり。
今や英魂永く去って還らず、痛惜極まりなし。
 
茲に告別の式に臨み、
聊か翁の徳を偲び、謹みて弔意を表す。
 
昭和十七年十一月四日
宇都宮商工会議所代表副会頭
篠原定吉
 

 
③弔辞内容の解説
 
本資料は、
昭和17年11月4日、
宇都宮商工会議所 代表副会頭
篠原定吉により述べられた、
五代目・上野松次郎(豊次郎)に対する弔辞の内容を、
後年、七代目・上野俊三が書き留めた記録である。
 
弔辞では、
上野松次郎が宇都宮商業会議所(現・宇都宮商工会議所)
の創設に尽力し、
初代会頭として、更には再選期間も含めて、
17年にわたり地域商工業界の発展に尽瘁した功績が
高く評価されている。
 
これは単なる追悼文ではなく、
当時の地域経済界が五代目・上野松次郎を
「宇都宮経済界の礎を築いた人物」
として位置づけていたことを示す
極めて重要な歴史資料である。
 

 
静かに残された写真と資料は、
百年を超えた現在も、
五代目上野松次郎の生きた時代を物語続けている。
 

編集後記
 

 
今回の特集制作を通して見えてきたのは、
 
「歴史は、一人では作られない」
 
という事実であった。
 
五代目上野松次郎の背後には、
 
・上野タミ
・上野家女性陣
・銚子との商流
・地域実業家ネットワーク
・家族たち
 
の存在があった。
 
地方の歴史とは、
決して英雄史ではない。
 
人と人との縁が折り重なり、
静かに積み重なった時間そのものなのである。
 

次世代へ継ぐメッセージ
 

 
地方に生きること。
 
家を守ること。
 
地域に尽くすこと。
 
それは決して派手ではない。
 
しかし、
時代がどれほど変わろうとも、
最後に地域を支えるのは、
土地に根を張り、
人との信頼を積み重ねてきた者たちである。
 
五代目上野松次郎が生きた時代は終わった。
 
だが、
その精神は今なお、
静かに次代へ受け継がれている。
 

【本企画について】
本アーカイブは、
上野家に伝わる史料・写真・記録類をもとに、
歴史資料として再構成した特別企画です。
・文章構成・編集:歴史アーカイブ制作チーム
・史料提供・内容監修:上野拓也
(株式会社上野 代表取締役)