株式会社上野 祖業史
油屋松次郎から株式会社上野へ
-260年受け継がれた商いの系譜-
株式会社上野の創業は、明和五年(1768)。
初代松次郎の父・新兵衛が
宇都宮材木町において
製油業を始めたことに端を発する。
以来、上野家では代々「松次郎」の名を襲名しながら、
時代の変化に応じて事業を発展させてきた。
製油業から肥料商へ。
有機肥料から化学肥料へ。
そして現在のアグリ事業へ。
その歩みは単なる事業の変遷ではない。
代々受け継がれてきた
「信用」「誠実」「不易流行」
の精神を守りながら、
時代に応じて変化し続けた商いの歴史そのものである。
本稿では、
創業から現在に至る
株式会社上野の祖業の歩みを辿る。
【上野本家 正面写真(最近)】
上野家の事業の中心として発展した泉町本家。
現在もその姿を残している。
【株式会社上野 問屋町事務所写真(現在)】
現在の株式会社上野本社。
【株式会社上野 肥料倉庫写真(現在)】
株式会社上野 アグリ事業部、
現在の地域農業を支える肥料倉庫。
第一章 油松(あぶまつ)の創業
【上野松次郎商店 正面写真(昭和20年頃)】
戦前から戦後にかけての上野松次郎商店。
明和五年(1768)。
上野新兵衛は22歳で
宇都宮材木町において製油業を創業した。
屋号は「油屋」。
菜種などから油を搾る製油業は、
当時の生活に欠かせない重要な産業であった。
その後、
上野家では代々
「松次郎」
の名を継承しながら事業を発展させていく。
「油屋松次郎」
としての事業がここにスタートする。
以降、世間では「油松(あぶまつ)」さん
としてお客様から親しまれるようになる。
第二章 製油業から肥料商へ
文化八年(1811)、
初代松次郎が家督を相続する。
その後、
事業の発展に伴い、
天保四年(1833)には
材木町から本郷町(現在の泉町)へ移転。
広大な敷地に工場、店舗、住宅を構えた。
やがて製油業の副産物である
油粕が農業用肥料として利用されるようになる。
安政二年(1855)、
三代目松次郎は油粕販売を本格化させ、
肥料商としての歩みを始めた。
ここに現在のアグリ事業部へと続く原点が誕生する。
【上野松次郎商店 店舗入口写真(昭和20年頃)】
肥料商として発展していった頃の店舗入口。
第三章 化学肥料時代の到来
明治期に入ると農業は大きな転換期を迎える。
五代目松次郎は従来の有機肥料だけでなく、
新たに登場した化学肥料に着目した。
製油業を廃止し、肥料販売専業へと舵を切る。
この決断は
後の上野松次郎商店の飛躍的発展の礎となった。
【上野松次郎商店の看板写真】
上野松次郎商店の木製看板。
長年にわたり店舗に掲げられていた。
第四章 渋沢栄一から託された使命
明治42年(1909)。
近代日本経済の父と称される渋沢栄一は、
化学肥料の普及と品質向上を目的として
大日本肥料株式会社の設立に関わっていた。
その渋沢栄一から
五代目松次郎へ一通の書簡が送られる。
書簡には、
栃木県下における肥料事業の普及と運営
に対する期待が記されていた。
上野松次郎商店は
東京人造肥料(現・日産化学)の特約店として、
化学肥料時代の先頭に立つことになる。
【渋沢栄一からの書簡(大正12年)】
渋沢栄一より五代目松次郎へ送られた書簡。
化学肥料普及の時代を物語る重要資料である。
第五章 住友肥料との出会い
【住友化学工業 特約直売店看板】
住友肥料製造所との取引を象徴する特約店看板。
大正11年(1922)。
上野松次郎商店は
住友肥料製造所(現・住友化学株式会社)
と特約店契約を締結する。
以後、
およそ100年にわたり
住友化学との直接取引が継続されることとなった。
この関係は単なる取引先を超え、
株式会社上野の肥料事業を支える
重要な基盤となっている。
【住友肥料ポスター】
住友肥料製造所時代の広告ポスター(復刻版)。
第六章 六代目松次郎と事業継承
昭和12年(1937)。
五代目松次郎の長男・順一が家督を継ぎ、
六代目松次郎を襲名する。
温厚篤実な人柄で知られた六代目は、
家訓の精神を守りながら家業を継承した。
激動の時代を生き抜き、
地域経済や金融界にも広く貢献したその足跡は、
現在も上野家の精神的支柱として受け継がれている。
【上野松次郎商店 事務所正面写真】
住友肥料の看板が掲げられた上野松次郎商店。
第七章 戦後復興と株式会社上野の誕生
戦後、
肥料事業を取り巻く環境は大きく変化した。
七代目・上野俊三は
事業再建と新分野への挑戦を進める。
色付き紙の販売をきっかけとして
内装事業が誕生し、
肥料部と内装部の二本柱へ発展した。
昭和47年(1972)。
肥料部は宇都宮市問屋町へ移転。
同時に社名を
「株式会社上野松次郎商店」
から
「株式会社上野」
へ改めた。
【株式会社上野 事務所写真(昭和40年後半)】
問屋町移転直後の株式会社上野。
【株式会社上野 会社看板】
問屋町移転直後の株式会社上野の会社看板。
『株式会社上野』へ法人変更後の表看板。
第八章 地域農業とともに歩む
株式会社上野は
単なる肥料販売にとどまらず、
地域農業に寄り添った商品提案を続けてきた。
自社ブランド製品「VS堆肥」。
住友化学との連携による
上野オリジナル肥料等。
地域に適した商品開発と
提案活動を通じて、
農業現場とともに歩んできた。
農家との信頼関係は、
代々受け継がれてきた
上野家の商いの精神そのものである。
【VS堆肥 商品画像】
株式会社上野のオリジナル堆肥「VS堆肥」。
【上野オリジナル肥料】
住友化学へ製造委託して販売された
上野オリジナルの水稲基肥一発肥料。
栃木県の気候に合わせたラインアップ。
県北版:黄色袋、県南版:白色袋
最終章 未来へ受け継がれる祖業
創業から260年。
製油業から始まった商いは、
肥料商となり、
現在のアグリ事業へと発展した。
事務所は移り変わり、
商品も変わった。
しかし変わらないものがある。
それは、
「信用」
「誠実」
「不易流行」
の精神である。
今日も問屋町の倉庫には肥料が積まれ、
地域農業を支える商品が届けられている。
上野家260年の歴史は、
過去の物語ではない。
未来へ続く、
現在進行形の物語である。
【株式会社上野の肥料倉庫】
現在の肥料倉庫。
今日もここから地域農業を支える商品が届けられている。
【現在の株式会社上野の事務所写真】
創業1768年。
株式会社上野の商いは、現在も続いている。
特別資料編
特別資料①
『宇都宮金満家番付(長者番付)』
1848(弘化5)年に作成された、
宇都宮金満家番付(長者番付)。
最下段左から5番目に
「油類・干鰯 油屋松次郎」として
上野松次郎の名が刻まれている。
資料②
『住友肥料製造所関係資料』
明治44年、
矢島富造氏より上野順一宛に送られた書簡。
その後、住友肥料製造所(現・住友化学株式会社)
との特約店契約を結ぶに至る重要な書簡。
資料③
『三菱商事肥料特約店看板』
資料④
『光興業特約店看板』
光興業株式会社との特約店看板。
(その後の昭光通商、現在のNCTアグリ株式会社)
資料⑤
『渋沢栄一書簡』
資料⑥
『住友肥料製造所時代PRポスター』
資料⑦
上野オリジナル商品
・『VS堆肥』
・『水稲基肥一発肥料』
資料⑧
『歴代事務所・倉庫写真』
上記の資料群は全て本文中で紹介。
編集後記
本稿の執筆にあたり、
上野家に伝わる
家訓、
書簡、
看板、
写真、
社内資料など
数多くの一次資料を参照した。
歴史を振り返る中で見えてきたのは、
代々の当主の功績だけではなく、
その根底に流れる
「商いを絶やさない」
という強い意志であった。
260年という歳月の中で
受け継がれてきた精神は、
今なお株式会社上野の事業活動の中に息づいている。
次世代へ継ぐメッセージ
創業から260年。
上野家は幾度となく時代の変化に直面してきた。
しかし、
そのたびに変化を受け入れながらも、
守るべきものを守り続けてきた。
歴史は過去を語るためだけにあるのではない。
未来を創るためにある。
先人たちが築いた信用と誠実を礎に、
株式会社上野は
これからも地域社会とともに歩み続ける。
そして次の100年へ。
その歩みは、
これからも続いていく。
【本企画について】
本アーカイブは、
上野家に伝わる史料・写真・記録類をもとに、
歴史資料として再構成した特別企画です。
・文章構成・編集:歴史アーカイブ制作チーム
・史料提供・内容監修:上野拓也
(株式会社上野 代表取締役)