本郷町、よみがえる。
-上野松次郎の名刺がつないだ、本郷町復活の物語-
今回の歴史発見は、
当初まったく予想していなかった方向へ
私たちを導くことになった。
その始まりは、
上野家の文庫蔵から発見された
五代目上野松次郎(豊次郎)所有と思われる
小さな財布であった。
【豊次郎所有と思われる資料入れ】
上野家文庫蔵から発見された小さな資料入れ。
この中から、
若き日の名刺、
時計保証書、
明治十二年宇都宮市街図など、
本郷町の記憶へつながる
資料群が見つかった。
その中には、
・若き日の名刺
・日本橋の時計店による保証書
・明治十二年宇都宮市街図
などの資料が
大切に保管されていた。
当初は豊次郎という人物を
より深く知るための調査であった。
しかし資料を読み解くうちに、
私たちは思いもよらぬ物語
へたどり着くことになる。
それは、
「本郷町」という町の記憶をめぐる物語
であった。
第一章 一枚の名刺から始まった歴史発見
【若き日の上野松次郎の名刺】
五代目上野松次郎(豊次郎)が残した名刺。
「栃木縣宇都宮本郷町三番地」
の文字が、
今回の歴史発見の出発点となった。
財布の中から発見された一枚の名刺。
そこには肩書もなく、
会社名もなく、
ただ静かに、
「栃木縣宇都宮本郷町三番地 上野松次郎」
と記されていた。
後年の名刺には、
宇都宮商業会議所会頭
宇都宮銀行頭取
衆議院議員
などの肩書が並ぶ。
しかしこの名刺は違う。
まだ何者でもなかった若き日の豊次郎。
その原点ともいえる一枚であった。
さらに興味深いのは、
この名刺が作られた時期である。
豊次郎が上野タミと結婚し、
上野家へ入ったのは
明治16年(1883年)。
その翌年には、
栃木県庁が栃木町から宇都宮へ移転し、
宇都宮は名実ともに
県都への道を歩み始める。
財布の中から発見された
「宇都宮本郷町三番地 上野松次郎」
の名刺は、
豊次郎が上野家へ入り、
上野松次郎として歩み始めた頃
のものと考えらえる。
もしそうであるならば、
その時期は明治十六年前後、
県都宇都宮誕生の直前
であった可能性が高い。
後に、宇都宮商業会議所会頭や、
衆議院議員として活躍する松次郎の歩みは、
宇都宮という都市が発展していく歴史と
軌を一にしていたのである。
そして、
この「本郷町」
という文字こそが、
今回の物語の扉を開くことになる。
第二章 日本橋池田時計店の保証書
【日本橋池田時計店の保証書】
日本橋池田時計店の時計保証書。
「池田」「日本橋」という文字が、
資料群のつながりを解き明かす
重要な手がかりとなった。
資料群の中には時計保証書も含まれていた。
そこには、
日本橋池田時計店
の名が記されていた。
当初は時計の保証書と思われたが、
調査を進める中で、
複数の資料が
同じ人物や同じ時代を指している
ことが明らかになっていった。
そして私たちは次の資料へたどり着く。
第三章 明治十二年宇都宮市街図
【明治十二年宇都宮市街地図(全体)】
明治十二年発行『下野國宇都宮市中之圖』
本郷町、宝勝寺、桂林寺など、
現在へ続く町の姿が描かれている。
【本郷町周辺拡大図】
本郷町周辺拡大図。
「本ゴウ丁」の文字の近くには、
宝勝寺と桂林寺が描かれている。
桂林寺は上野家歴代の墓所
を有する守り寺であり、
現在も深い縁を結んでいる。
地図を見て驚いた。
現在の泉町周辺に、
はっきりと
「本ゴウ丁(ホンゴウチョウ)」
と記されていたのである。
さらにそこには、
宝勝寺、
そして上野家歴代の墓所がある
桂林寺も描かれていた。
若き豊次郎が名刺に記した本郷町三番地。
それは単なる住所ではなく、
上野家が代々暮らし、
祈り、
歴史を紡いできた場所だったのである。
第四章 本郷町三番地
【現在地図-本郷町通り・上野本家位置図】
(マーカー位置が現在の上野本家)
現在の本郷町通り周辺。
宝勝寺、桂林寺、上野本家の位置関係は、
明治時代から現在へ受け継がれている。
名刺と地図を照合すると、
本郷町三番地は
現在の上野本家周辺
と重なることが見えてきた。
つまり今回発見された資料は、
上野家が本郷町の地に存在していたことを示す、
生きた証言だったのである。
第五章 消えた町名
しかし時代の流れの中で、
本郷町という地名は消えた。
現在の住所表記は泉町。
長い年月の中で、
本郷町という名は地図から姿を消した。
だが、
その記憶まで消えたわけではなかった。
第六章 本郷町通り、よみがえる
近年、
旧本郷町地区の住民たちは
宇都宮市へ要望を続けた。
旧日光街道と奥州街道の追分
として栄えた本郷町。
その名を未来へ残したい。
その願いは実を結び、
長年親しまれてきた清住通りは、
「本郷町通り」
へと改称された。
そして現在では、
LRT西側延伸計画をはじめとする
宇都宮市の未来構想の中にも、
本郷町通りの名が記されるようになった。
本郷町は再び未来へ歩み始めたのである。
第七章 今も続く本郷町三番地
【上野本家 正面写真(最近)】
上野家の事業の中心として発展した泉町本家。
現在もその姿を残している。
若き豊次郎が名刺に記した本郷町三番地。
その名は地図から消えた。
しかし、
桂林寺に眠る歴代当主たち。
本郷町通りとしてよみがえった町の名。
そして今も続く上野家。
それらは百四十年以上の時を超え、
なお同じ場所で静かにつながり続けている。
むすびに
今回の発見は、
本郷町を調べるために始まったものではなかった。
五代目上野松次郎を知ろうとした旅だった。
しかし気が付けば、
私たちは本郷町という
町の記憶をたどっていた。
そしてさらに、
本郷町通りとしてよみがえった現在の宇都宮、
そして未来のまちづくりへと
視線は広がっていった。
豊次郎が残した一枚の名刺。
明治十二年の宇都宮市街図。
本郷町通り。
それぞれが一本の線となって結び付いたとき、
私たちは
歴史が現在と未来へつながる瞬間を
目の当たりにしたのである。
特別資料編
『本郷町をめぐる発見資料』
資料①
「若き日の上野松次郎名刺」
(本郷町三番地)
今回の歴史発見の出発点となった資料。
「栃木縣宇都宮本郷町三番地」
と記されており、
後に発見された
明治十二年宇都宮市街図との照合により、
本郷町と上野家のつながりを示す
重要な手掛かりとなった。
資料②
「上野松次郎 名刺変遷集」
一人の人物の歩みを
名刺だけで追うことができる
貴重な資料群。
本郷町三番地の青年が、
やがて地域経済界を代表する
人物へ成長していく過程が読み取れる。
【上野松次郎 名刺変遷①】
明治20年頃の上野松次郎の名刺。
「栃木縣宇都宮本郷町三番地」のみ記されている。
【上野松次郎 名刺変遷②】
明治時代の松次郎の名刺。
電話番号が加わった直後の時代で、
「3番」という若い番号が印象的。
【上野松次郎 名刺変遷③】
明治時代の松次郎の名刺。
四条町(松寿苑)の電話も記されている。
【上野松次郎 名刺変遷④】
明治27年頃の名刺。
宇都宮商工会議所の設立に関わり、
初代会頭を務めた。
【上野松次郎 名刺変遷⑤】
明治30年頃の名刺。
宇都宮銀行設立に参加をし、
頭取を務めた。
【上野松次郎 名刺変遷⑥】
大正6年頃の名刺。
衆議院議員時代(立憲政友会に所属)。
資料③
「日本橋池田時計店保証書」
財布の中から発見された時計保証書。
「日本橋池田時計店」の記載により、
当初判読できなかった資料群の人物名や
印章の謎を解く重要な手掛かりとなった。
資料④
「明治十二年宇都宮市街図」
明治十二年発行。
本郷町、宝勝寺、桂林寺など
現在へ続く町の姿が記録されている。
資料⑤
「本郷町周辺拡大図」
地図中央部に「ホンゴウチョウ」の記載が確認できる。
宝勝寺と桂林寺が隣接して描かれており、
上野家と地域の関係を今に伝える。
資料⑥
「本郷町通りの現在」
地域住民の要望により復活した本郷町通り。
明治時代の地名が現在の都市空間に
受け継がれている。
資料③~⑥は、本文中で紹介。
資料⑦
「現在の上野本家」(令和8年撮影)
本郷町三番地の記憶を受け継ぐ
上野本家の最新画像。
明治時代から続く歴史の舞台である。
本郷町の名は消えても、
その記憶は今もこの場所に息づいている。
発見資料年表
時代 / 掲載資料
(明治12年) 『宇都宮市街図』
(明治16年頃)『若き日の上野松次郎名刺』
(明治中期) 『日本橋池田時計店保証書』
(明治中期) 『上野松次郎 電話番号入り名刺』
(明治27年頃)『上野松次郎 宇都宮商業会議所会頭名刺』
(明治30年頃)『上野松次郎 宇都宮銀行頭取名刺』
(大正6年頃) 『上野松次郎 衆議院議員名刺』
(現代) 本郷町通り復活
(現代) LRTまちづくり計画
編集後記
今回の資料調査は、
五代目上野松次郎という人物を
より深く知るために始まった。
しかし調査を進めるうちに、
豊次郎だけではなく、
本郷町という町そのものが
主役であることに気付かされた。
歴史資料は時として、
私たちが予想もしない場所へ導いてくれる。
今回の発見は、
そのことを改めて教えてくれた出来事であった。
本記事は、上野家文庫蔵から発見された資料と、
宇都宮市が公開する歴史資料を基に構成しています。
本記事作成にあたり参考とした資料・関連ページ
今回の歴史調査では、
上野家所蔵資料のほか、
宇都宮市が公開する歴史資料や
関連文献を参考とした。
■本郷町の歴史
・「本郷町(ほんごうまち)の由来」
本郷町-宇都宮の歴史と文化財
■宇都宮の歴史を紐解く物語
・第4回:「県都宇都宮の誕生」
・第7回:「二つの街道の追分」
うつのみやの歴史を紐解く物語
■SUPER SMART CITY
・都心部まちづくりビジョン
宇都宮の「都心部まちづくり」
【関連ページ】
旧街道歩きの視点から本郷町周辺を紹介した興味深い記事
街道の行く先へ
次世代へ継ぐメッセージ
地名は変わる。
町並みも変わる。
しかし、
その土地に生きた人々の記憶は消えない。
本郷町という名を未来へ残そうと願った地域の人々。
桂林寺に眠る歴代当主たち。
そして、
静かにその歴史を伝えてくれた上野松次郎の名刺。
歴史とは、
過去の記録ではなく、
人々の想いが未来へ受け継がれていく
営みそのものなのかもしれない。
本郷町通り。
その名はこれからも宇都宮の未来の中で、
町の記憶を語り続けていくことだろう。
【次のおすすめ記事】
▶ 『上野家と蒲生君平』へ
-蔵から現れた肖像画と文化資料-
【本企画について】
本アーカイブは、
上野家に伝わる史料・写真・記録類をもとに、
歴史資料として再構成した特別企画です。
・文章構成・編集:歴史アーカイブ制作チーム
・史料提供・内容監修:上野拓也
(株式会社上野 代表取締役)